2016年12月18日日曜日

クリスマス会

今日もクリスマス会を行った。
前半は14名、後半は16名参加してくれた。

いす取りゲーム
ボール投げゲーム
フルーツバスケット
後半は上記プラス
はしごゲーム
ダックダックグース
そして、ビンゴ
プレゼント交換

定番だが、時間に終わることができた。
手際がいまひとつ悪かった。

みなが楽しんでくれたことを願う。

ビンゴゲームで用意したジンジャーブレッドハウス。
当初は子供たちと一緒に作っていたが
希望者が減ってしまったため辞めたイベントだ。
8年前にお寺で教室を借りていた時に
作ってもらったビデオが今も存在する。

https://www.youtube.com/watch?v=xSZYkQiv_pI

今年も先週一週間は毎日クッキーを作っていた。

ツリークッキーはプレゼント用

















ゲーム用のハウス

わたしは想像力にとぼしい











家族でジンジャーブレッド作り 

夫はデザインに凝る
娘も参戦

結構デザインはかわいい

















クッキーを焼くと家中がクッキーのかおりに包まれる。

今回のクッキーはちょっと味が薄かったかも。

クリスマス会のお手伝い、後の片付けなどをしてくれた
保護者や子供たちありがとう!!

本格的にジンジャーブレッドハウスを作りたい人のために
以下のリンクを貼り付けて起きます。

https://www.youtube.com/watch?v=EMSBekqAT30










2016年12月3日土曜日

外国人お遍路さん

お遍路さんに外国人を見かけることは少なくない。

その外国人がどんな決心で遍路をすることにしたのか
不思議に思うことがある。

さて、わたしが京都に行っている間、夫は何をしていたか?

帰ってから嬉しそうに話してくれたので紹介しようと思う。


夫は新しく出来たマルカナスーパーにあるガソリンスタンドで
ティシュ箱をもらい、レシートを集め、いずれ値引き券がもらえるのを
ささやかな楽しみにしている。

その日は日曜日だったのだが、ガソリンを入れるべく、マルナカに
向かって車をはしらせている途中、西条大橋で外国人お遍路を見た。

いかにもアメリカ人男性らしく、大きく手を振りどうどうとした
歩きっぷりだったので、すぐ目についたという。

声をかけようと思ったが、こちらは車だし、ガソリンも入れないと
ならないし・・・ということで、そのままガソリンスタンドに向かった。

帰り道、吉野にある実家に向かって走っていると、
遍路道でない住宅街を、先ほどの外国人お遍路さんが歩い
ているではないか。

そこで声をかけることにした。

「おい、そこで何してるんだ?」

「え?ここは観光する人がよく来るところじゃないのか?」

悪いことでもしているような質問の仕方に、彼はびっくりしたらしい。

夫は悪い冗談も好きで困る。


2、3やりとりをしたあと、彼を車に乗せた。

その日は家族もいないということで、
結局彼と6番から10番の切幡寺まで一緒に回り、
その後夫の好きなうどん店に連れて行って一緒に昼食を食べ、
駅まで送っていったそうだ。
そのお遍路さんはとても満足して帰っていたそうだ。

聞けばそのお遍路さん、
アメリカ人の2世で、母親は九州出身だそう。
ハリウッドで警官を20年以上勤めており、
退職したときに88箇所をしたいので、今回はその下見に
来たそうである。

だからこそ、夫が「ここで何やってるんだ?」なんて
警官みたいな質問するからびっくりしたんだろう。

ちなみにハリウッドはクレイジーな人が多いらしいので
警官の仕事も大変だそうだ。
徳島はそれに比べたら天国みたいだったそうだ。

それにしても、わたしは天国に住んでいるんだなあ。
改めて感謝しなくちゃ。

2016年11月28日月曜日

京都旅行とサンクスギビング

今月ももうすぐ終わろうとしている。

まだ今月2度目のブログなんて情けないが
一日が過ぎるのがあまりにも早いので
あれよあれよと言う間に今日になってしまった。

さて、11月の中旬に米国から友人が
遊びに来た。あちらに住んでいるときに
仲良くしていた友人である。

せっかくはるばる21時間という飛行時間をかけて
来てくれたので、娘もつれて京都に女子旅行することにした。

一泊だったがとにかく非常に混んでいて
紅葉も特に綺麗と言うほどでもなかった。
しかしお寺や神社のダイナミックさは
感動ものだった。

日本の「侘び寂び」は外国人には
理解できないといわれているため、
夫はわざわざ侘び寂びのビデオを
あらかじめ彼女に見せた。

京都見学をしながら、建物の侘び寂びについて
話しながら歩いた。

古い廃れた中にある美しさと寂しさ。

こういった日本人的感覚はわたしは好きだ。





そして先週は米国でいわゆる感謝祭があった。
11月の第4木曜日で、学校も仕事も休みになる。
日本の正月のようなものだ。

感謝祭には家族が集まり、
七面鳥、マッシュポテト、スタッフィング、インゲン豆のキャセロール、コーンやパンプキンパイ等、決まった料理が作られる。

わたしは毎年七面鳥を焼かないと気がすまなくなっている。

なぜかというと、七面鳥は焼くのに3-4時間かかるため、

家中が七面鳥を焼くよい匂いに包まれるからだ。
その香りはアメリカで育った人たちにとっては、
小さい頃の思い出、おいしい食事などの懐かしい日々を回想させる。
大晦日に新年のための醤油ベースのおせち料理を作る匂いが
家中をただよう時に感じる気持ちに似ている。

わたしは結婚して25年、殆んど毎年焼いている。それで今年も、
コストコで7キロほどの七面鳥を買い、国際結婚をした友人達を
呼んで感謝祭のポットラックパーティを開いた。

テレビでは感謝祭の後行われるブラックフライデーの買い物商戦
ばかりが放送されているが、これがクリスマスの準備第一歩なのである。

今年もあとわずか1ヵ月!

2016年11月4日金曜日

青年の船

国の国際交流事業の一つに
青年の船というのがあるのを存知だろうか。

色々な国の若者が一つの船に乗り、様々な交流をしてお互いへの
理解を深めるというもので、船に乗っているのが40日と、結構長い。
それに参加するのは難しいらしい。日本人でも応募してから何年も
待つ人もいる。

船に乗っているだけでなく、他国でのホームステイも含まれる
のだが、今回彼らが最初に立ち寄った国は日本であった。

今回ハロウィンパーティに参加していた二人の女性も
その「青年の船」の事業を通してやって来た。

本当ならもっと日本の文化を紹介したり、体験してもらうのだが、
今回はアメリカの文化を紹介する形になり、申し訳なかった。

それにしても2人の女性、一人はブルネイから来たディラさん、
もう一人はインドネシアから来たレミンさん。イスラム教の人は
未知の世界なのでちょっと不安だったが、本当にいい人たちで
イスラム教を知るよい機会になったと共に、とてもよい勉強になった。

男性の前では家族以外、絶対に髪や肌を見せないそうで、
すごく厳しいように感じたが、本人たちは当然のこととして
すんなりと受け入れている印象だった。わたしたちにもお土産に
ヒジャブというスカーフをくれた。着けてみると案外あたたかくて
悪くはない。

ホストになりたい家族は徳島県の青年国際交流機構に連絡すれば
毎年ホスト依頼の連絡があるはず。一度やってみては。

以下、歓迎パーティと送迎パーティの写真。


2016年10月30日日曜日

ハロゥイン・パーティ

今年も多くの保護者のご協力のうちに
無事終了しました。

子供たちの変装はとてもかわいくて
日本の「かわいい」ハロウィンは
米国の「怖い」ハロウィンより
個人的には好きだし楽しいです。
ただ、個人の家家々を回れないのが残念。

今回、同じ保護者にずっとキャンディ配りを
お願いしてしまったので、
次回はもっとローテーションしなければと
思います。

色々反省点はあります。

① 一人ひとりの紹介に時間がかかる
② ゲームに使うカードの準備が追いつかない
③ 34年生のTelephone gameは、人数が多かったので
3列にすべきだった。

④ けが人や泣き叫ぶ子が出ずよかった。
⑤ 寒かったので、キャンディを配る保護者に
申し訳なかった。
⑥ 子供たちがどうしても「I am」を言わず、
キャラクターの名前だけを言ってしまうので
徹底しなければならないと思った。

今回は徳島国際交流機構による
ホームステイプログラムがあたってしまい、
彼らの観光案内とパーティで超忙しい
一日になってしまいました。
このようにならないよう、
次回から気をつけなければならないと思いました。

友人に写真を頼んだので、その一部をご紹介します。





2016年10月12日水曜日

子供への投資

人生には様々な選択があるが

子供への習い事はある意味親の投資である。
色々な習い事をさせ、それがいつか
花開くことを願う。

スポーツであればいつか
選手になる夢、または健康保持のため。

ピアノやエレクトーンであれば
いつかピアニスト、音楽家になる夢、

それでは英語は?

国際的に働けるようになるため?
外国に行っても困らないため?
日本にいる外国人とコミュニケーション
するため?
いや、英語の成績向上と
英検などの資格を取って受験などに
有利にするためという理由が多い。

子供たちに聞くと、外国に行きたくないという
子が多いのは残念なことだ。

わが娘は中三。受験生だ。
「死ぬつもりでがんばれ」と
先生から言われているらしい。高校に入るのに
死ぬ覚悟で勉強?というか、知識の詰め込みを
しなければならない教育に投資したくないと
思った。

それで、高校は留学させることにした。

続きは明日。

2016年10月4日火曜日

スピーチコンテスト 県大会

先日の日曜日、スピーチコンテストの県大会があった。

当教室からひとり、もう一人、夫が中学校で教えている
生徒が一人参加した。

当教室から参加した子は残念ながら入賞できなかったが
上板中学校の生徒が全国大会出場となった。

わたしは実際見に行かなかったのだが、後からビデオを
見せてもらった。

当教室から参加した子は他校に通っているため、
その学校で指導しているALTの先生と違うことは
教えられないのが残念だった。

それは選ぶ英語、ジェスチャー、発音、殆んど全てが
ALTの先生にかかっていると言っても過言ではない。

いずれにしても、夫の教えている生徒が全国大会行きに
なったのは嬉しいが、当教室に通っている子が行けなか
ったのは何とも悔しい気分だ。

発音も内容も申し分なかったのに、
その伝え方がいまひとつだったかもしれない。
その子の通っている中学校のALTの先生も
あまり慣れていなかった感がある。


去年スピーチのことをブログに書いたのだが
今年スピーチコンテストを見て思った必要条件は

1. 伝え方 (声の大きさや話し方)

2. 内容 (面白さやユーモアなど)

3. 使う英語 (英語が洗練されているかどうか)

4. 発音がよいか

5. ジェスチャーが適切か

6. 日本語の多さ(もちろんなしがよい)


これからスピーチコンテストに参加希望する人たちは
ぜひ参考にしてほしい。

2016年9月22日木曜日

世界大学ランキング

日本は地盤沈下しているそうだ。

イギリスのタイムズ・ハイヤー・エデュケーション

(英米系のイギリスタイムズ新聞付録冊子
として毎年秋に発行している高等教育情報誌。)

が発表した2016年の結果で、日本の大学は
東京大学と京都大学が上位200校に入ったものの、
去年と比べ、勢いが増しているとは言い難い。
日本の大学政策についての編集長パティ氏の言葉を
ここに貼り付けることにした。

「日本政府は日本の大学制度の欠点を認識し、改革に取り組んでいます。
日本の大学は資金不足で、概して海外の才能を取り込むことや、
研究者に対して海外の同僚と共同研究を奨励することが上手ではありません。
そこで2014年、政府は世界規模での競争と国際化のための
特別資金提供プログラムを立ち上げました」

「これに続いて、英語のみで行う学部プログラムの作成を目的とした
グローバル30プロジェクトが策定されました。
日本は上位980校のリストの中に69校も入る素晴らしい成績を残しており、
アジアでは最も多くの大学がランク入りした国でした。
上位400校の中に昨年は6校入っていましたが、今年は8校入っています」
日本の上位大学がふるわない理由ははっきりしています。

民進党の蓮舫代表の「二重国籍」問題でも明らかになったように、
社会に血統主義が根強く残り、排他的な「純血主義」がはびこっているからです。
蓮舫代表が首相を目指すなら台湾籍からの離脱は必須でしょう。

しかし「国籍唯一の原則」にこだわり「二重国籍」を排除しているため、
海外に流出したり、海外で生まれたりした優秀な人材が外国籍を取得した場合、
日本国籍を放棄しなければなりません。

青色発光ダイオード(LED)の開発でノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏が米国籍を取得したからと言って日本国籍からの離脱を強制することが賢明なことなのか、考えなければなりません。

日本の伝統的な仕組みは人やモノ、資本が自由に行き来する
グローバル時代に全く対応していません。
才能はより良き環境を求めて移動していきます。

日本の大学が地盤沈下しているのは、言葉や伝統、文化の壁が高く、優秀な人材が海外から来にくいからです。

世界のトップ大学がひしめく英国では世界中の頭脳を確保するため、
恐ろしいほどの勢いで大学に資本が投じられています。

一方、日本では少子化による人口減少で大学ビジネスの成長が期待できず、
大きな投資を呼び込めていません。
日本の大学のランキングを見ても上位校が文部科学省のスーパーグローバル大学トップ型指定校と一致していません。

世界の大学・大学院の学生数はこの10年で倍増しており、
大学には大きなビジネスチャンスがあります。
理系の優位性がまだ残っているうちに、
グローバル化への対応と人材確保、資本投入、成果主義を徹底しないと、
日本の大学の上位校の地盤沈下は止まらないでしょう。

大学のグローバル化に順応できなければ、グローバル人材を養成するのも無理な話だと思います。

日本はグローバル化にまだまだ遠い。


2016年9月15日木曜日

スピーチコンテスト

いよいよスピーチコンテスト本番の時期。

当教室から挑戦している中学生2人のうち

一人が昨日、阿波市の代表に選ばれた。

本当に嬉しい。

クラスの子供たちみなが自分のことのように
喜んであげたのは、もっと喜ばしい。

ひとえに本人の地道な努力の賜物だと思う。

ぜひ県の代表を狙って欲しいと思う。

もう一人は明日板野郡の大会で
力を発揮することだろう。

2人とも、がんばれ~~~~!


2016年8月25日木曜日

親子

昨日親が息子を殺したというニュースがあった。
ショッキングなのはその理由。
「受験勉強がうまくいかない」

父親が通っていた有名私立学校に
受験させたかったとのこと。
自分の親の薬局を継がずに
トラックの運転手をしていた父親。

多分この父親も、自分の親から
かなりのプレッシャーをかけられて
その学校に進学したのだろう。
しかしその親の持っていた
薬剤師の夢がなぜか果たされず、
それを果たせなかった自分の中に
常に満足感が得られず、自信が持てず
それが子供に向けられてしまったようだ。

親の勝手な夢や希望の被害者である
この子が不憫でならない。


有名私立学校に入り
有名大学に入り
有名会社に入り
高給取りになり
人生何不自由なく生きることが
本当に幸せなのか
原点に戻って考えるべき。

何よりも大切なのは
夫婦の絆。
親子の絆。
家族の絆。

そういったしっかりした小さな絆がある
家族がささえる地域、町、社会こそが
一番パワフルなのではないかと思う。

人間関係の一番小さな単位である
夫婦・親子。

そこを一番大切にしないと。

有名大学を卒業し
有名企業に入り
いくら収入がたくさんあっても
家族がばらばらで
お互いを憎みあっていては
最後に待っているのは醜い財産争い。


この父親、
奥さんの影がない。
夫婦での話し合いもなかったのだろうか。

この子供が父親の曲がった教育を
押し付けられ、無事に育ったにしても
精神的に痛めつけられ、他人を巻き込みながら
一生苦しんで生きていかなければならなかった
かもしれない。

この家族の不の連鎖がそこで止まったのは
不幸中の幸いかもしれない。

男の子のご冥福を心からお祈りします。

2016年7月22日金曜日

中学生クラス

この教室を始めた当初から
通っている子供たちはもう中学生。

現在中学3年生のクラスがあるが、
皆英語が大好きで、
この夏は英語スピーチ大会に挑戦する子が
2人いる。

英語スピーチはその学校のALTと
英語教師が連携し、いかに生徒の能力を
引き出せるかがミソである。

もちろん内容が一番大切。

大体の傾向として、自分ががんばっていること、
がんばってきたこと、到達したことを
書く子供が非常に多く、その中でいかに
光らせるかだ。

さらに、自分の考えや発見、創造性
豊かに、面白い内容で伝える子供は、
もっと光る。

2人にはがんばって欲しいと思う。

さて、中学生クラスで今わたしが子供たちに
挑戦してもらっているのは、歌である。

子供たちも歌を歌いたいとのリクエストから
急遽、英検だけのクラスから半分歌に
変更となった。

今までハイスクールミュージカルや
有名歌手の歌を歌ってきたが、
驚いたことに、挑戦しているのはわたしなのだ。

歌詞を渡して、「来週から歌うよ~」と言って
次の週に歌い始めると、子供たちは
スーッと歌えるようになっていて、
下手に指導する必要はない。

大人クラスでも歌を歌っていて
リズムと言葉を合わせるのに
必死に指導せねばならないのに、
中学生には不必要だ。

それにしても、歌を歌うのはよいことだ。
英語の勉強にもなるし、ストレス発散にも
なるし、一石二鳥。

2016年7月5日火曜日

学校の英語教育

中学校の期末テストの結果を見ると
書き言葉を正確に覚えることが
あまりにも強要され
英語のコミュニケーションツールとしての
役割の影があまりにも薄い。

使える英語教育はいつやってくるのか。

高校になってもテスト勉強は文法の正しい使い方
正しい言いまわしを覚えるのに
子供たちは必死である。
わたしが中学の頃からすると
リスニングが加わったくらいの違いだ。

問題の答えは必ずしもわたしたちの
使うフレーズでなく、
そうでないとバツとなる。

自分が中学校教師だったら・・・と考える。

多分同じような問題作りをしないといけないだろう。
教育が読み書きばかりの英語から
話す聞くの英語に変わらない限り。

娘は来年高校受験。
中学で3年間、英語の授業を受けて
彼女の英語力は全く向上しなかった
ばかりか、停滞してしまった。
週4時間、月16時間、8月と3月を
抜かして、年間160時間、
書いて読んで点を取るのに
必死だった。

高校に入っても、こういう英語の教育を
受けるのであれば、
高校に入れたくないと思う。

これ以上、このような英語教育で
若い青春時代の貴重な時間を
無駄にさせたくない。

これが本音。

2016年6月23日木曜日

現在完了

中学生に現在完了を教える。

He has been to Tokyo.

He has gone to Tokyo.

何が違うか?

上は東京に行ったことがある。

下は東京に行ってしまった。

上は経験、下は完了。


なんてややこしいんだ!

学校で「行く」は 「go」 と習う。

なのに、なぜbeenで「行ったことがある」
なのか。

もともと、been という単語が曲者。

beは存在をあらわす。つまり、
上は「東京にいた」と言ったほうが
正解といえる。

しかし、日本語ではどうしても
「行く」という言葉を伴ったほうが
しっくりいくため、「行ったことがある」に
なってしまう。

I have been there.
など、完全に「そこにいました。」
という感覚。

I've been there, and I've done that.
は、よく使う言い回し。
同じような経験をした時に
使う言葉。

これはイメージで捉えるのが一番。

been はそこにいる様子。
go は「行く」という行為。



2016年6月11日土曜日

しばしば

先日小学校上級生に
頻度を教えていた。

always
often
usually
sometimes
never

その際、oftenの意味がわかるかどうか
子供たちに聞いた。
誰も応えなかったので、
すかさず夫が
「しばしば」と日本語で教えた時
ふと疑問に思った。

oftenは、わたしが中学の頃から
「しばしば」と教えている。
しかし、
こんなにしょっちゅう使うことばなのに
日本語で
「しばしば」なんて言葉はほとんど使わない。

「しょっちゅう」「よく」 等の方が、頻度は高い。

なぜこの会話では死語のような
「しばしば」をoftenの最初の訳として
使うのか、意味不明。

日本語から英語に訳す文章では
よく「よく」が使われ
「しばしば」なんてあまり見ない。

中学校の英語の教科書、
もう一度全ての訳を見直して
欲しい。そしてもっと会話で使われる
日本語に置き換えて欲しい。

2016年6月7日火曜日

Silver Anniversary

今日はわたしと夫の銀婚式。

上板町にあるさくら並木レストランに予約を入れ
2人のためにディナーを用意してもらった。
約束の時間に現れると、机の上には
すきやき風料理と手作りのお豆腐。
その後次々に料理が運ばれた。
綺麗に盛り付けられたお刺身、
お魚とナスのフライ
はもにイカ墨ソース、
鮎の姿焼き等、どれも品のよい味。
最後にタワーのようなデザートと
コーヒー。桜並木さんに感謝。














25年前を振り返るべく、
最近実家を整理していて見つけた
結婚式にいただいたカードを持参した。
一つ一つ読み返しながら、
ああ、色んな人が来てくれたんだね。
思い出にふけりながら色々語り合った。
最後にわたしも午前中に
必死で作ったカードを夫に渡した。
以下、カードに書いた内容。

「夫へ
結婚当時はまだまだ精神的に
未成熟で、たくさんミスをしたけれど
最終的には息子は成長して
人生を楽しんでいるし、
娘もそのうちきっと素敵な
大人にに成長するだろう。

自分の両親が病気の時は
日本にいて世話もできないまま
亡くなってしまったのに、
わたしの両親が病気の時は
そばにいて
介護してくれたことには
感謝しています。

そして、
いつも当たり前の存在みたいに
扱っているけれど、
これまでわたしにしてくれた
様々な貢献に深く感謝します。

良い夫、良い父親でいてくれて
ありがとう。」

 
 2人だけでおいしいものを食べたので
家で一人でいる娘にも
同じデザートを作ってもらった。
超喜んでくれました。















夫婦がうまくいく秘訣は
やっぱりお互いに
感謝を口にすることだなと
つくづく思います。

2016年6月4日土曜日

目を合わせない文化

わたしがアメリカで一番慣れにくかったのが
人と目を合わせること。

合わせてもすぐそらす癖があったため、
どうしてもじっと見ていることができなかった。

それでも徐々に慣れてきたが、
知らない人、すれ違いの人と
目を合わせてあいさつするのは
なかなか難しかった。

何がそうさせているのかわからない。
とにかく、目を合わせるのが億劫だった。

反対に夫は

道ですれ違う人
目につく人と目を合わせようとする。
そしてあいさつをしようとする。
わたしは、「あ~やめて~」
と心の中で叫ぶが、まるで
取り付かれたかのように
習慣として
そうするのだ。
そうしないほうがおかしい、失礼と
思っているのだ。

まる反対の文化の違いとは
このことだ。

日本では見知らぬ人と目を合わせようとしたり
じっと見るだけだと、「ガンつけられた」とか
否定的にとる、とられることが多い。

そして目をそらすのは当然のことなのだ。

しかし文化の違う国に行き、
自国の習慣が失礼にあたると、
自分の国で当然としていたことがなぜなのか、
また、なぜそのような感情が生まれるのか
考えてしまう。

つまり、

他国に行くことは、自分の国の習慣や
文化を知ることになる。

英語の生徒たちが皆、色々な違う文化に触れ、
自分達の文化について疑問を持ち
よいところは伸ばし、悪いところは排除して
ますますよい国になってくれるといいなと
いつも願っています。


2016年5月17日火曜日

誕生日

13日は夫、15日は息子の誕生日。
去年は大々的にサプライズをしたが
今年は無し。

ではかわいそうなので、
夫の誕生日だった金曜日
一応ケーキを作った。
当日最終の大人のクラスの2人も交えて
極小サプライズをしようと
計画した。クラスの人には
あらかじめ話はしていなかったのだが。

が、夕方ごろクラスの一人が
急にお休みすることが決まり
クラスの始まる時間になっても
もう一人が現れず、ラインをチェックすると
一人では悪いのでお休みするとのこと。

まあ、誕生日のことを
話しておかなかったので
しかたがありませんが、
自分的にはかなりがっかり。
朝からケーキと夕食準備に
必死だったので余計。

でもあきらめず、
クラスが終わってから
チーズたっぷりの手作りキッシュを食べてもらい、
2階に住んでいる教室の家主さんを呼んで、
皆でケーキとビールで乾杯。

やれやれ・・・・。

家主さんありがとう。

2016年5月4日水曜日

今年のゴールデンウィーク

久しぶりのブログ。

亡き母の部屋から見つかった
大量の大学ノートに書かれた日記を発見して以来、
自分でも大学ノートに日々起こったことを書き留める
ようになった。忘れっぽいわたしには非常にありがたい
習慣である。

このゴールデンウィーク、とくに何もプランは立てなかった。
どこに行っても混雑しているので、家でのんびりすることに
している。とはいっても、パーティーに行く機会もあり、
ただのんびりという日は殆んどない。

29日には社会人1年生の息子が帰郷し
初任給でわたしたちを夕食に招待してくれた。
わたしたちにビールをおごり、自分は運転するからと
飲まずに勧めてくれた。(これは普段わたしの仕事なのに)
何だか嬉しいような悲しいような。・・・・

中学までは子育てに必死で
中学では高校受験に追われ、
高校では大学受験追われ、
大学に入ったら就活、
就職してからは離れて行くのみ。

同じ状況にいる友人と話すのは
「さびしいね」とか、
「大人になっちゃったね」
みたいなことばかり。

もっともっと子供時代をエンジョイすればよかったとか
もっとゆったり子供を長い目でみつめればよかったなど
後悔することは多々ある。

しかし本人が仕事を楽しみ
充実した毎日を送っていればそれでよしとしよう。

子育てをする期間は本当に短い。

子育て中の人たちには「今子供と一緒にいられる時間」
を楽しんで欲しいと思う。

2016年4月4日月曜日

卒業

久しぶりの更新。

3月24日から久しぶりに東京で過ごした。
目的は息子の卒業式と引越し。
母の葬儀があったため、親戚周りも含め。

10年前に中2でこちらに引っ越してきて
日本語でのコミュニケーションの壁にぶつかり
様々なハードルを乗り越えてきた彼も
やっと卒業だ。5年かかってしまったが
デンマークでの留学1年で、世界に友達が
できた。1年以上の価値があった。

親としては感無量である。













授与式は全て英語。
卒業生も同じ学科はmulti racialだ。

一週間後には社会人。
社員寮に移るため、彼のアパートに
ステイしながら荷物の整理。

その間娘を連れて国会議事堂や都庁、
スカイツリーを観光。
夫に頼んで娘をTDSにも連れて行った。

わたしは丸善や紀伊国屋を回って
面白そうな洋書絵本を探し回り、
amazonで中古を安くで購入した。
これが一番の方法だ。

息子のいる幡ヶ谷には色んなレストランがあり
タイ、アルゼンチン、フレンチ、ウルグアイ料理
を体験し、息子のバイト先のカフェでもごちそうに
なった。

今回は鎌倉にいる父方の親戚を尋ねた。
小さい頃から全く会っていなかったいとこも
集まってくれて、全く知らなかった自分の
ルーツを知るよい機会になった。

東京の町は1km歩くだけで色んな店や
建物があってめまぐるしいが、この一週間も
同じくらいめまぐるしかった。

やっぱり徳島に帰って綺麗な空気と水を飲んだら
ほっとした。

卒業は色んな人に別れを告げ、
4月は新しい出会いと始まりが待っている。

2016年2月22日月曜日

アジア旅行

息子は4月から新社会人となる。
卒業旅行と称して、先週デンマークに
留学していた時に知り合った大阪の友人と
アジア旅行に旅立った。

まずはタイのバンコク。














そしてカンボジア。
アンコールワットなど、世界遺産の
壮大さに感動した後、
友人と別れ、
昔我が家にホームステイしたソピア君
を尋ねて向かった。














写真を見る限り、ぜんぜん変わっていないソピア君。

この後再び友人と合流し、マレーシアとシンガポールに
留学中に知り合った友人を訪ねるそうだ。

留学することで視野は広がり世界に友達ができた。
もちろん親としては1ヶ月も旅行するなんて心配だ。
しかし恐れていては何も始まらない。
息子もこのために、必死でバイトして資金を貯めた。

会社に入っても大学時代の貴重な経験を生かして欲しい。
日本の未来のために。




2016年2月14日日曜日

感謝の辞

先日母の葬儀が行われた。
わたしたちの教会では
この世で亡くなって3日目に
あの世で目覚めると信じているので
復活式と呼んでいる。
その復活式に、総勢60名もの人が集まり
母との別れを惜しんでくれた。
わたしたちの教会はまだまだ新しく
日本に3年前やっと牧師が誕生し
教会の建物はまだない。
現在2人しかいない牧師の一人が
わざわざ北海道札幌から来てくれた。
前日に徳島に到着のはずであったが、
吹雪で飛行機が飛ばない千歳空港から
前日やっと羽田まで飛び、
当日の朝8:30に空港到着と言う
ぎりぎりスケジュールだった。
それでも、式を時間通りに始めることができ
全ての予定をこなした。
母の病気が診断されてから、本当に色々な
人の優しさと温かさに触れた。

ここに感謝の気持ちを記しておこうと思う。


お見舞いに来て下さった全ての方、
病を気にかけてくださった全ての方に感謝。

牧師のメールによる励ましやサポート、
祈りの言葉、復活式の執り行いに感謝。

母の生徒さんと保護者による日々交替の付き添い、
復活祭でのお手伝い、その他あらゆるお手伝いに感謝。

生徒さん達が母のためにベット際で
音楽演奏をして下さったことに感謝。

毎週のように夕食を作って持ってきて下さった
友人に感謝。

気功、ツボ療法などによる治療に携わって
下さったいとこ、友人、生徒さんに感謝。

闘病中に様々な方からお見舞いに
いただいた美しいお花そして果物、食物に感謝。

膵臓がんを患った家族をもつ人たちの
様々なアドバイスに感謝。

母に特に気を使って下さり、夜中に音楽をかけ続けて
下さった看護士さんに感謝。

新教会メンバーの影ながらの祈りや
励ましの言葉に感謝。

夫が一度も文句を言わず、母の介護と付き添いに
多大な時間と労力を費やしてくれたことに感謝。

最後に、母の闘病と他界という経験を通し、
自分の罪深さ、人々の優しさ、家族の絆、
自分と人の人生、神のみ摂理、神への信頼を
教え導いて下さった神様に心より感謝。  

2016年2月7日日曜日

Hug

日本語でも定着してきた言葉に「ハグ」(抱擁)がある。
人に触れる習慣の無い日本に、
言葉だけでなく、ハグが広まりつつある。
わたしはアメリカにいるときに、このハグの
よさを体験し、できれば日本にもっと
定着して欲しいと思った。

前回ブログを書いた日の午後、母が亡くなった。

多くの人がお悔やみを言って、深々と
頭を下げるが、申し訳ない気分になってしまう。

そんな中、「ハグ」と一言言って、手を差し伸べて
くれた中年の女性友達がいた。

人の温かさに直に触れられた気がして、
涙があふれた。

2016年1月31日日曜日

甘える

甘えるという言葉は日本語特有であることを
ご存知だろうか?

甘えるを英語に直すと

Depend on 頼る

とか

spoil 子供を甘やかす


とか

whiny 泣き言を言う


くらいで、

子供が親に「甘える」
彼女が彼に「甘える」
みたいなしっくりした訳がない。

cuddle 抱きしめる

が、一番近いかもしれないが、
これは実際体の寄り添いを
指す。


甘えるとは、人が人に「愛情」や「寄り添い」をもとめることで、
肉体的なものより、精神的なものを指すことが多い。

人の好意を受け入れるのも「甘える」と言う。

さて、わたしが「甘え」について書いたのは
病院の先生も言っていたし、
昨日もある看護師が使ったことばだから。


がんの末期であるわたしの母は
日々ベットの上で痛みと戦っている。
今は腕からモルヒネを点滴され、
昨日はわたしが付き添っている間中
うなっていた。

体は動かすことも難しく
目も殆んど開かず
血中酸素が低下したため
酸素マスクをし、
オムツをし、
心電図をチェックするパッチを貼られ、
熱も高く、
床ずれも痛そうで、
息の仕方も苦しそうだ。

わたしの仕事の時間になってもうなっていて
ベットを離れるのがむずかしかった。

看護師に痛みが取れていない事を伝えて
後ろ髪が引かれる思いでその場を去った。

仕事が終わってまた母の様子を見に行った。
面会時間が終わる直前だったので
間に合うか心配だったが・・・・

母は寝ていた。

そこにやって来た夜勤の看護師。
「いつもは静かに寝てるんですよ。
人が来ると甘えるんですよね。
座薬もしてますから大丈夫です。」と言った。

その話し方、表情には
患者の気持ちを理解しようとしている
雰囲気が見られなかった。
この方、月2回しか来ない看護師。
「いつも」が分かってるのかしら?

「甘える?」
じゃ、そばにいないほうがいいって
ことですか?
わたしは反射的にそう思った。

母は24時間痛みと戦っている。
いつも一人で戦っている。

そこに人が来たら、泣き声であろうと
うめき声であろうと、どうにかして
痛みを訴えるのは当然だ。
「甘え」で片付けられるものでは
ないはずだ。

看護師という職業柄
いちいち一人ひとりの訴えに
対応していてはやっていられないのも
分かる。
しかし、「緩和ケア」をしている病院である
限りは、患者の気持ちや家族の気持ちに
鈍感になってはいけないと思う。

少なくとも、発する言葉だけには
細心の注意を払ってほしいと思った。

2016年1月20日水曜日

吉野教室

英語教室として使用している
吉野教室は、わたしの実家であるが
母が入院してからは、誰もいない。
その内妹が帰ってきて、また姉も
いつか帰ってくるのだろうが、
母がいなくなって、家がとても
さびしく感じる。

突然の病気の発覚で
発覚して2ヶ月もたたないうちに
入院してしまったものだから
空っぽ感ハンパない
感じだ。

わたしの両親は20年ほど前に
この徳島に移り、この家を建てた。
人生の5分の1しか住まなかった
この家だが、思い出も、物も
ぎっしり詰まっている。

自宅に比べ、隙間風がすごいし
断熱材が入っていないみたいに
寒さが身にしみる。

その中で今日もクラスをすることができた。
子供たちのエネルギーに救われた。

I am writing in English because it is
hard to express my feeling in Japanese.

I go upstairs where my parent's room is.
And I found it is hard to see all the stuff there.
Everything has some memories, expecially
the stuff in my mother's room make me
cry.

I need to be strong and look forward, not back
ward.  I have to face the fact that I will lose my
dear mother very soon.  It is very tough to
think about, but it is coming soon.

But it happens to every one of us, and it will
happen to my children someday.

I didn't have a good relationship with my mother
last 10 years.  I regret that I didn't do much for
her.  But then she was busy with her music
lessons and I was busy with establishing my
own school and taking care of my children.

She supported our business.  I have to say
thank you for her generosity for letting us
use her place.

I will miss her very much.

2016年1月16日土曜日

人のやさしさ

1月、2月は英検ラッシュ。
英検の上級を目指す子供も児童英検を
初めてトライする子供もいる。
皆に受かってもらいたいので
わたしも必死で準備を進めている。

が、母の入院もあり、なかなかスムーズに
いかない。

今日も朝9時からレッスン直前の
午後4時近くまで、病院で付き添い。
夫も新学期が始まって忙しくなって
来たので、なかなか付き添いに
時間をかけられない。

来週は息子が付き添いレスキューに
帰ってきてくれる。楽しみだ。

完全看護ではあるが、
母は目もあまり見えず、
看護師を呼ぶブザーがあることが
わからず、一人でベットを這い出し
トイレに行こうとするから困るのだ。
歩けないのに歩けると思ってしまう。。。
強い薬のせいかもしれない。

そんなこんなで、今日も朝
クラスの準備と家事でてんやわんや
朝の8時~9時は家中を走り回っていた。

家を出る直前に、英検資料のコピーを
あわてて取ったらページがごっちゃになり
クラスの中で子供たちに直してもらった。

午後4時近く。

クラスがそろそろ始まるから
病院を出ないとと思っている矢先
友人から電話。

困ったな、これからクラスなのにと
思っていると、友人いわく
「夕食作ってきたよ。駐車場で
待ってるから。」

友人は肉じゃが、卵焼き、かぶの
お漬物を持ってきてくれた。
涙が出るほど嬉しかった。
今晩はレトルトカレーにしようと
思っていたから。

彼女は先週もビーフシチューを
もって来てくれた。
こんな友人を与えて下さった神様に
わたしは感謝した。

母は歯痛がひどく、歯医者さんに連れて行きたいのに
苦しいことが多くてなかなか連れていけない。
そのことを母の生徒さん(大人)に話したら
たまたま彼女の義理のお兄さんが
歯医者さんで、往診をお願いしてくれた。

鴨島では人気の歯医者さんなのに
忙しい合間を縫って、昨日と今日の晩
来てくれた。

母の笑顔を見てホッとした。
夕方3人もの生徒さんがお見舞いにきてくれていた。

家に帰って夕食に食べた肉じゃがとお漬物、
卵焼きは最高においしかった。

今日は人のやさしさにたくさん触れられた
よい日だった。

2016年1月5日火曜日

師弟関係

新しい年が始まり、
昨日から英語クラスも始まった。
英語を教えているときは
日々の苦悩から解放される。
というか、忘れさせてくれる。

子供は不思議な力をもっている。
子供の世界が大きすぎるからか、
大人はそれに飲み込まれてしまうのだ。

それに魅せられたのか、
またはたまたまそうだったのかは分からないが
母はピアノとバイオリンを教えていた。
長い生徒で10年とか20年教わっていた。

そんな生徒さんたちが、日々母の見舞いにやってくる。
一日一回お顔を拝見させて下さいという方もいる。
先日自宅に一時的に戻ったら、
丁度帰郷していたピアノとバイオリンの生徒さんが来て
デュエットを演奏してくれた。
2人とも大学生。
ステキな穏やかな時間だった。

楽器の演奏法を教えるのっていいなと思った。

個人レッスンだし、身に着いたら一生の宝だ。
一人はオーケストラに参加し、一人は音楽の先生を
目指している。母を恩師として尊敬しているらしい。

英語もしかり・・・

英語を身につけて、それを人生のどこかで役立てて欲しい。

ただ、英語は目に見えるような技術でなく、
話したり聞いたりする技術だからどれだけ「出来ている」
のか分かりにくいのかが難点。

でも成長してある日突然尋ねてきて
「対等に」英語で話ができるようになっていたら
こんなに嬉しいことはない。



2016年1月2日土曜日

A Happy New Year

おけましておめでとうございます。

本年は無事に迎えることができました。

昨年は末から母の介護看護でクリスマスも年末も
いつもの行事がなく、終わってしまい
子供たちには本当に申し訳ありません。。。。。

結局母は近くの診療所に入院しましたが
日々付き添わずにはいられないため
いまだに年賀状が書けていません。

ダンが教室の生徒さん用に作ってくれた
年賀状はちょっと大人っぽすぎて
受けないので、結局いつものように
息子と娘の写真になってしまいました。

これからがんばってお返事を書きます。
そとの半月が大きくて綺麗です。

今年は皆にとっていい年でありますように
お祈りしています。




English Fun Party

 3月31日、4年ぶりにパーティを開きました!! 英語を使ったチャンツ、詩の朗読、劇、歌、手遊びなど、みんなで楽しむことができたと思います。 来年に向けて反省点はたくさんありますが、演じる人も見る人も楽しいパーティにできたらと思います。