父が76歳であの世に旅立ってからもう15年になる。
生前教師や翻訳をやっていた父の書斎は本やテープであふれており、いつか整理しなければと思いながら今になってしまった。
ちょうどゴールデンウィークで何も計画がないので、この機会に書斎の掃除をすることにした。
まずは部屋に10台ほどある書棚につけるラベルを作った。それを貼り付け、そのラベル通りに本を移動していった。
父は敬虔なクリスチャンで、聖書だけでも古いものから新しいものまで40冊以上あった。
語学書は英語の他、ラテン語、ギリシャ語、ヘブル語、スペイン語、フランス語、ロシア語、ドイツ語等。
その各語学の辞書も5センチくらいあるものから10センチ以上あるものまであった。
全体の半分は英語とラテン語書物。語学書の他に、神学書、大学で哲学を専攻していたので、哲学書も沢山ある。そして、日本語教育関係の本。
私が大学生の頃、父は日本語教師の養成学校を経営しており、多くの日本語教師を世に出した。わたしもその生徒として学んだことがある。すごく楽しくて面白く、父の教え方はとても上手だった。そのテキストや指導ファイルがたくさん残っていた。
父は定年に入ってから四国大学で十数年教えていたが、洋楽を通して英語を教えていたので、その音楽関係の資料やカセットテープが箱一杯に入っていた。
同時に米国の教会の説教のテープ起こしをして翻訳し、本を出していたので、テープが何箱にも入っていた。
テープの他、フロッピーディスクやCD、手紙類や通信講座の資料、ノートの数々、そして写真類。処分すべきかどうか悩む。
父は小6で父親を亡くし、戦争が終わった直後だったので、中学3年間はドイツ人の神父に預けられていた。頼れる人がいなかった環境や、自分の姉がカトリックのシスターになったのもあって、信仰が強まったのではないかと思う。
父はいつも祈っていた。自分で祈りの本を作って発行していたほどだ。
ある本を開けると、そこには祈りの文章が書かれていた。
それを見て、父の成功は祈りなしにはありえなかったと改めて知った。
わたしは父ほど熱心で敬虔なクリスチャンではないし、厳しい父だったので、生前はあまり父親が大好きと言えるような親しい間柄ではなかったかもしれない。しかし、父の残した日々の反省ノートや語学の勉強ノートを見るにつけ、もっと色々話がしたかったし、色々教えてもらいたかったなと悔やむ。