2014年2月22日土曜日

出身地

以前のブログで自分は世田谷で幼少期を
すごしたと書いたが、戸籍謄本には
出生地は東京都渋谷区となっている。
生まれたのは東京の渋谷区代々木
山谷町だ。

わたしはずっと自分が神奈川県出身と
パンフレットなどに書いていたが
出生地と出身地が混同していて
どちらがどちらかよくわからなかった。

本当によく引っ越した。

出生当初0歳で東京渋谷

2歳-4歳は東京世田谷

5-7歳は父が神学校に通うため九州の福岡市

8歳(小2)で神奈川県相模原市

小6で引っ越して川崎市多摩区

中1は神奈川県藤沢市

中2ー中3は東京都町田市

高1で神奈川県藤沢市に戻る。

それから大学に行き、途中で退学。
ヤマハのエレクトーン教師を始め、
東京渋谷代々木で一人暮らし。
その後アメリカに渡った。

一息。

結婚して日本に戻ったときは神奈川県藤沢。
徳島に移ってから
吉野→藍住→鳴門と3回引越し。

その後またアメリカに引越し。
アメリカでは
コネチカット州モンロー、→フェアフィールド、
ペンシルバニア州ハンティングドン
カウンティラインと、
アメリカだけでも3回引越し。
最後には家を購入した。

日本に帰ってから
両親のいる吉野町にいたが
上板町に引越し。

そしてやっと第二の家を購入した。

アメリカと日本に家を一軒ずつ。

子供たちがどちらを選んでもよいように!

もう引越しはこりごり。

ちなみに息子は日本生まれ、アメリカ育ち。
娘はアメリカ生まれ、日本育ち。

どちらが出身地になるんだろう?

2014年2月20日木曜日

親バカ

英語に親バカという言葉はない。
親が子を褒めるのは当然だからだ。

日本では親が子を褒めるとき、
必ず「親バカかもしれませんけど」
とか何とか言い訳する。が、
する必要はないと思う。

自分の子供が何かよいことを
したら、誰でもそれを他人とシェアしたい
ものだ。

だらだら自慢話をするのでなく、
「うちの子ね、昨日皿洗ってくれたのよ。」
「あら、よかったね。助かったじゃない」

で、いいと思う。

「○○大学に入学できたのよ」
「よかったね~」

など、他人の喜びに寄り添うことだ。
そうすることで、他人も
自分の喜びに寄り添ってくれるように
なるものだ。

問題はこの国に「自慢は悪」みたいな
風潮があること。

これは宗教的な価値観で、
自慢するな、というのは仏教か
神道の教えだろう。

反対に、聖書の教えに「喜ぶ者と共に喜び、
泣く者と共に泣きなさい。」
とある。

欧米など、キリスト教国では
こういった教えは日常生活の中で
適用されている。

わたしの親はわたしの欠点ばかり
人に言っていた。
それがすごく嫌だった。
他人の前で褒めたりされた
記憶はない。

それに気づかせてくれたのは息子だ。
米国にいるとき、日本式に息子の欠点を
他人に言ったら、「何で僕の悪いところ
を人に言うの?」って聞かれた。

親が子供を悪く言うのと
親が子供を自慢するのと
どちらが子供にとって悪影響か?

親が子供を悪く言うことで
子供はただ悲しくなるか
怒りを貯めるかどちらかである。
親子関係が悪くなることは
目に見えている。

他人に自慢せずとも
子供の良いところを
十分に理解し、言葉で
褒めてやるべきだと思う。

2014年2月19日水曜日

外見

わたしはとにかく外見に無頓着だ。
もっとキチッとした恰好をすべきなのだろうが
そんなことに大切な時間とお金をかけたくないと
思ってしまう。

そんな時間があったら
自分の頭の中とか心の中を
磨くことに時間を使いたい。
英単語の一つでも増やしたい。
・・~な~んて。
きれいごとではあるが、
ウソでもない。

これも価値観の問題だろう。
見た目がいい=よいもの
と考える人はこの国に多い。

本当にそうだろうか?

ブランドものに身をつつみ
厚化粧をしている人を見ると
「きれい」より「かわいそう」
と私は思ってしまう。
この人の中身、どうなってるの?
って少し心配になる。

大体、中身がしっかりしている人は
あまり外見に重きを置かない。
自分の持っている知識や経験に
自信を持ち、それを尊重している
からだ。そしてそういう人は
他人の知識や経験をも尊重する。

結局人は外見に惹かれても、
どんなに美しくても
中身が悪ければ友達はできない。
いくら着飾っても
中身がなければすぐ飽きられる。
中身がしっかりしていると
外見をそれほど着飾らなくても
人はついてくるものだ。

「きれい」という褒め言葉より
「いい人」という褒め言葉の重さは
何十倍も重い。

人間が本当に求めるのは
よい人間関係であり
外見に惹かれて自分の本当を知らない
「ファン」に取り巻かれることではない。

人の中身を見て判断する人と
たくさん知り合いたい。

2014年2月17日月曜日

英語ネイティブの外国人

今日知り合いの外国人から電話があった。
その人は長年日本に住んでいて
日本語が流暢である。

しかし、日本人の「白人は英語しかしゃべらない」
という偏った考え方に、ほとほと参っている。

英語でしどろもどろ話しかけられるより
自分が日本語で会話したほうが早いのだが
相手は執拗に英語で話そうとすると言う。
特に少し英語のしゃべれるお年寄りに多いとのこと。

そして今日は「あなた○○人でしょ?
英語しゃべってるの見て嬉しくないの?」と、
同僚から言われたとのこと。
非常に立腹・動揺していた。

ここ徳島では人権教育が盛んだ。
しかし、人権教育はある一定の人々に限られ、
外国人、特に英語を話す外国人には当てはまらない。

人間としてというより、
英語を話す人・英語で話すべき相手、ひどい時は
英語の練習台としてしか見られないと言う。

白人は英語を話す飾りであり、
その違いを楽しむ人は多い。
見かけも美しい・きれいと思う人は
未だに多い。

しかし、彼らは人間であり
英語・日本語問わず、人とのコミュニケーションを
求めている。表面的な人間関係でなく、
深い意味で人と知り合いたいと思っている。

英語を教えている立場のわたしが
ネイティブに英語を話すなというのは
変かもしれないが、
わたしは日本において
英語を話す国の出身者に会ったら
必ず英語で話したいか、日本語で話したいかを聞く
ようにしている。

日本に長年住み、日本語を習得した外国人のほとんどは
日本人とは日本語での会話を望んでいる。

By the way,夫は違う。
長年日本に住んでいるが
日本語はあまり得意ではない。
だから日本語では話かけないほうが
喜ぶだろう。

ところで、長年日本に住んでいる外国人の友人とは
日本語で話したり英語で話したりしている。
両方で話すのは超面白い。
日本語でうまく表現できないことは英語で。
英語でうまく表現できないことは日本語で。

2ヶ国語ができると、人生2倍得をし、楽しんでいると
確信している。

2014年2月16日日曜日

フレッツ光インターネット

2月4日からインターネットのない生活が
2週間続いている。
とりあえず、スマートフォンの
テザリングという機能を使って
パソコンでインターネットを
使えるようにしている。
便利なものができたものだ。
ただ、上限があるので
やたらに繋げないため
最小限度にとどめている。

やっと明日NTTが再度
工事に訪れることになっている。

何が起こったか?

7月にセールスのおっちゃんの
「安くて早いよ」という
うたい文句にうまくハマッテ
光インターネットを契約して
しまった。
確かに早くて安かったが
接続が悪くて、しょっちゅう止まるし
何度か故障に電話しても改善しないため、
1月に契約を終了した。

NTTはお客様に迷惑をかけましたと
解約に応じてくれた。
が、プロバイダーが
違約金を払わないと
契約違反だという。

電話による交渉を重ねたが
折れてくれない。
夫が怒りを爆発させて
電話で交渉したが
ADSLに変えるということで
話が終わる始末。

消費者センターに電話をし、
手紙とメールで
違約金なしの契約終了を
要請した。

それでやっと違約金を払わず
契約を終えることができた。

それにしても
インターネットに支障があっても
プロバイダーには責任がないなんて
話は聞いたことがない。
最初にプロバイダーに電話をしたが
全くhelplessだった。

今回のことで、夫婦喧嘩にまでなってしまい
精神的にも疲れた。

やっぱりこういうとき、夫が日本語を話せないと
不都合である。
夫は昔コンピューターのヘルプデスクをしていたことも
あるので、とにかく理論的ディスカッションは
得意。反対にわたしは口下手と来ている。
特に電話で文句を言うのは苦手中の苦手だ。

でもやらなくちゃいけないときもある。

いい勉強になったと思う。

English Fun Party

 3月31日、4年ぶりにパーティを開きました!! 英語を使ったチャンツ、詩の朗読、劇、歌、手遊びなど、みんなで楽しむことができたと思います。 来年に向けて反省点はたくさんありますが、演じる人も見る人も楽しいパーティにできたらと思います。