2013年6月26日水曜日

息子

我が息子は日本で生まれ、当初から英語で話しかけていた。
4歳の時、当時住んでいた藍住町の保育所に週2、3日通わせ
5歳になる前に渡米した。
それから中2の夏、つまり14歳になるまで米国で生活した。
その間小学校3年生くらいまでは夏休みになると
一ヶ月ほど日本に帰って小学校にお世話になった。

その後は日本語がどんどんあやしくなり
日本に帰って同級生と一緒に机を並べて勉強するのは
むずかしくなった。
米国ではフィラデルフィアの日本語補習校に通ったが
3年生でギブアップしてしまった。

2006年、わたしの父の要請もあり、日本に帰ることが決まった。
息子は中2だったので、小学校から上がってきた子供たちと
一緒に勉強できるよう、実家の近くにある中学校に編入した。
しかし、カルチャーギャップと言語弊害に
不登校になりかけた。この最初の一年間は、親子ともども
本当に辛かった。友達もほとんどできずに中学を卒業した。

それを乗り越え、高校は普通に進学し
米国でおこなわれているSATという
大学入学試験を受け、先生の推薦もあって
めでたく◯◯大に入学した。ここはその昔
父が神学部で学んだ地である。
大学に入るころには、日本語はだいぶ流暢になっており
高校での受験勉強の成果もあって、漢字もだいぶ読める
ようになっていた。

大学生活は思いのほか楽しいらしい。
自分と同じような過去や境遇をもった学生もおり
友達をたくさん作っている。
話を聞いていても楽しそうで羨ましいくらいだ。

先日その息子と話をした。日本語が上達しないため、
最近は日本語で話すようにしている。
「◯◯だよねぇ~」などと、日本語で同意するのを聞くと
今までずっと英語で会話していたのに、何か変な気分だ。
でも、それだけ日本に馴染み、日本人ともうまくやっている
ようで、親としては嬉しい。
わたしの英語より彼の日本語の方が断然うまい。

わたしは父親の影響で日本が、日本人が嫌いだった。
嫌いで出て行き、米国に留学した。
しかし息子は日本の良い所を色々教えてくれる。
米国よりも好きらしい。米国では自分の居場所がなかった
と言っている。
わたしは今でも米国の方が住みやすいと思っているが
今頃になって、日本の良さも見えるようになってきた
感じがする。

息子には、大学を卒業したら、徳島に帰って就職して
欲しいが、多分しないだろう。国際関係の専攻なので
就職口がまずない。それに、
帰ってきても家族に合うだけで
友達がいないからおもしろくないと言う。
悲しい現実だ。

9月からは留学するためデンマークに向かう。
一年もの月日は長い。
母親としては心配が尽きないが
よい経験をもって、さらに視野を広げて
帰ってきてくれると信じるしかない。

息子よがんばれ。良い人生を送ってほしい。

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English Fun Party

 3月31日、4年ぶりにパーティを開きました!! 英語を使ったチャンツ、詩の朗読、劇、歌、手遊びなど、みんなで楽しむことができたと思います。 来年に向けて反省点はたくさんありますが、演じる人も見る人も楽しいパーティにできたらと思います。